2019-06-14 第198回国会 参議院 本会議 第26号
そこには、平成十五年一月に、当時、参議院改革協議会座長でいらした青木幹雄先生が参議院議長に宛てた決算の早期審査のための具体策について結論を得た旨の報告書を始め、我が国において決算審査結果を予算審議に反映させる仕組みが確立していないがために財政統制が不十分であることを憂い、先人たちがそれを何とかして変えようとしてきた軌跡やその意義、また、国会法第百五条による会計検査院への検査要請を活発化させ、その結果
そこには、平成十五年一月に、当時、参議院改革協議会座長でいらした青木幹雄先生が参議院議長に宛てた決算の早期審査のための具体策について結論を得た旨の報告書を始め、我が国において決算審査結果を予算審議に反映させる仕組みが確立していないがために財政統制が不十分であることを憂い、先人たちがそれを何とかして変えようとしてきた軌跡やその意義、また、国会法第百五条による会計検査院への検査要請を活発化させ、その結果
青木幹雄先生始め自民党の議員の方々は、野党の議員を非常に大切にしてくださいました。野党の立場を本当におもんぱかってくださいました。我々の提案を時には本当に苦しい中でものんでいただいたこともあります。 しかし、今回のやり方は余りにひど過ぎると、そう思います。昨日提案されました。昨日提案されて、今日ここの委員会で採決されるからといって、どうして我々会派としてすぐに決定ができるんでしょうか。
当時は、青木幹雄先生が会長であったということであります。当時の参議院はミキオハウスと言われておりました。まあ、新人の私から見ても、水を漏らさぬ国会運営、少数意見を尊重し、間違っても、手続に瑕疵がある、言論封殺、民主主義の崩壊、そんなことを言われるような議会運営をしたということは見たことがありません。
○石井章君 有権者が戸惑わないというよりも、これは究極の党利党略案というのは国民誰しもがもう分かっていますので、後で質問しますけれども、特定枠設ける、非拘束式名簿方式というのは、我が党の代表であります、今、片山虎之助代表が当時の自民党の青木幹雄先生とともに非拘束式名簿の法を全国行脚して各種団体を回って、そうすると、賛成、反対が半々だったそうです。
その後、野党になって、私は最初の国会対策委員長になったんですけれども、野党になって少し気落ちしている私に、青木幹雄先生が、政府・与党を監視をして衆議院を抑止できるのは野党の参議院だけなんだと、政府・与党を監視して衆議院を抑止できるのは野党の参議院だけだと、榛葉君、頑張れと励ましてくれました。
ちょっと緊張しまして、まだ二期目だったのと、当時、青木幹雄先生が幹事長でしたので、非常に、お部屋に伺っても何かアウエーな感じがいたしましたけれども。なので、ちょっとこの問題に関心があるんです。 こういった、ほかの自治体の職員では福井県の越前市であるとか、あるいは横浜市というところも同じような性別欄をなくすという取組をされているようです。
輿石先生のカウンターパートでありました青木幹雄先生は、私にこうおっしゃってくださいました。政府・与党を監視して、かつ衆議院を抑止できるのは参議院の野党だけだと、榛葉君頑張れと言った。私、涙が出てきましたよ。政府・与党を監視をして衆議院を抑止するのは野党の参議院だけだと。野党の声は国民の声だと思います。 森友学園の問題が惹起をされ、芝理事もすばらしい追及をこの委員会でもされました。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) このパネルを見まして、山陰、特に島根県、山口県が大変厳しい状況のままでございますが、かつて青木幹雄先生もおられ、竹下登先生もおられ、そして安倍晋太郎もいたわけでありますが、非常にこれ公平にやっていたんだなという結果でもあろうと、自分の選挙区にどんどん持ってくるということではなくて。しかし、少し謙虚過ぎたのではないかという声も地元にはあるんだろうと思いますが。
○政府参考人(吉村馨君) 資料三でございますけれども、国会議員の方は、森英介先生、それから柳澤伯夫先生、森喜朗先生、山崎正昭先生、二階俊博先生、青木幹雄先生、以上というふうに承知しております。
これは、自民党の青木幹雄先生が参議院でおっしゃいました。隠岐島というところはお医者さんがいなくなる、赤ちゃんを産むのにその出雲市のヘリコプターで、昔は赤ちゃんはコウノトリが運んできましたけれども、今は出雲市ではヘリコプターが赤ちゃんを運ぶ。それでもいいんです、そういうことに役に立てば。
特に、参議院で青木幹雄先生が指摘された、隠岐島では赤ちゃんを産むときにもヘリコプターを使って出雲市へ飛ばなきゃならない。出雲市の子供たちはコウノトリの話を知っております。赤ちゃんをコウノトリが運んでくる。しかし、出雲では、赤ちゃんはヘリコプターが運んでくる。出雲市の新しい県立中央病院の十一階のところにヘリコプター、これは救急と高齢者用のために我々が県庁と一緒に設定して、それを想定しておったんです。
参議院で青木幹雄先生が質問されましたけれども、島根には格差の宝庫と言われるぐらいにいろいろな種類の格差があります。教育の面でも格差がある、あるいは高齢社会がどんどん進んでおる。そういった中で、この一票の格差、総理は、格差問題の中でどのように位置づけ、どのように取り組んでいこうとしておられるか。簡単で結構ですけれども、お願いいたします。
さらに、参議院議員御一同を代表されて、ただいまは青木幹雄先生より御丁重な過分なる御祝辞を賜り、心より深く感謝申し上げる次第であります。誠にありがとうございました。 私は、昭和五十一年、すなわち一九七六年十二月の五日、第三十四回衆議院総選挙に当時の新潟県第三区より初出馬、初当選させていただきました。
そこで、実は青木幹雄先生を座長にして、各党集まって申入れございましたですね。あれを私たちの方で検討いたしまして、今お尋ねの問題で、決算書を早く提出せいということ、これを鋭意努力いたしました。 それで、財政法改正せいという申入れでございますけれども、改正しなくても要望にある程度こたえられて、一回やってみようと、十五年度はこれでやってみようと。
竹下さんの掛合町からは日本海が見えない、日本海の深さが見えない、青木幹雄先生の大社町からは山の、森の深さが見えない。私は出雲市長時代に海彦・山彦というプロジェクトをつくって、漁村の子供たちには、夏休みになったら山の中へ行って生活させる、山の子供たちには海岸の方へ行って生活させる。そういう交流を、海彦・山彦として今でも続いております。